2025/12/05
マザーテレサ『死を待つ人の家』で医師の私が静かに涙した理由──コルカタ(カルカッタ)で見た “寄り添う医療” の本質
2025年11月末の、ほんの短い連休のことでした。
以前からずっと、マザーテレサの「死を待つ人の家(Nirmal Hriday)」を訪れてみたい──
そんな思いが心のどこかにありました。
けれど、正直に言えば、インドの個人旅行には少しハードルを感じていました。
「詐欺が多い」「一人旅は危険」という話を何度も聞き、怖さが勝ってなかなか踏み出せなかったのです。
それが今年、デリー、バラナシ、アムリトサルと個人で旅をするうちに、
「気をつければ、一人でも十分に旅ができるんだ」
という実感が少しずつ積み重なっていきました。
そしてようやく──
あの場所にも、自分ひとりで行けるかもしれない。
そんな自信が生まれたタイミングで、今回の旅を決めました。
インド東部・西ベンガル州の州都コルカタ。
けれど私の中では、今でも「カルカッタ」という呼び名のほうがしっくりきます。
マザーテレサがメディアで語られていた頃、テレビや本で紹介される街の名は、いつも「カルカッタ」でした。
その記憶が、そのまま心の中に残っています。
そんな“カルカッタ”への、初めての訪問でした。
■ 「死を待つ人の家」へ──恐る恐る近づいた門の前で
細い路地を抜け、小さな門の前に立ったとき、少し緊張していました。
医療者として訪れる以上、何か証明書が必要なのだろうか──
そんなことを考えて、スマホで医師資格アプリを開いた状態にしていました。
恐る恐る近づくと、門番の男性が私に気づき、ゆっくり門を開いてくれました。
“Doctor from Japan” と口頭で伝えると、予想に反してとても気さくに案内してくれ、
そのまま中へ入るよう促されました。
案内された先には、白い修道服のシスターが一人。
私を見るとふっと笑い、
「Welcome to our home!(ようこそ、私たちの家へ)」
まるで家族を迎えるような優しい声でした。
名前と国籍を書くだけで良いと言われ、
その温かさに胸の緊張がすっとほどけていきました。
■ ベッドが並ぶ空間、談話室、処置室
“死”よりも、“いまを生きる姿”があった
中に入ると、まずベッドがずらりと並ぶ大部屋が広がっていました。
右手には談話スペースと処置室があり、処置室では男性スタッフが外傷の処置をしていました。
机には採血結果の用紙が置かれ、思っていた以上に「医療機関らしい」空気がありました。
近くでは、
日本人らしきボランティアの男性が、食事の下膳や片付けを静かにこなしていました。
声をかけようか迷ったものの、私の人見知りもあって話しかけられず、
その黙々とした、しかし穏やかな働きぶりが印象に残りました。
談話室の横には椅子が並べられ、
男性の利用者たちが静かに腰掛けて過ごしていました。
その姿は、この施設の日常の一部として自然に溶け込んでいました。
さらに奥は女性の部屋で、男女が分けられていることもわかりました。
廊下には、
足に分厚いギプスを巻いたおじいさん、
痩せ細りシスターの手を握る若い男性、
目の焦点が合わずゆっくり往復する男性──
さまざまな「いまを生きる姿」がありました。
“死を待つ人”というより、
「いま、懸命に生きている人たち」
という言葉がしっくりきました。
シスターは静かに教えてくれました。
- 今は外傷の方が多いこと
- 背景には薬物・アルコールなどがあること
- 結核やHIVは別施設で診ていること
- 良くなれば各地の施設へ移り自立を目指すこと
- 重症なら病院へ搬送すること
ここは“最期の場所”だけではなく、
“生き直すための入口”にもなり得る場所なのだ と知りました。
■ マザーテレサが暮らした部屋
ほとんど何もない空間で感じた「すべてを与える生き方」
その後、私はマザーハウスを訪れました。
マザーテレサが暮らし、祈り、人生を捧げた場所です。
小さな机、簡素なベッド。
必要最小限の道具だけが置かれた、驚くほど質素な部屋でした。
必要なものを持たず、必要とされる場所へすべてを与える。
その生き方が、部屋の空気の中に静かに息づいていました。
階下には彼女の墓があり、
世界中から来た人々が静かに祈りを捧げていました。
ヨハネ・パウロ二世が訪れた写真も飾られていました。
■ 医師として、胸に確かに灯った一つの言葉
「治せないとわかった瞬間から、医療は終わるのではなく始まる。」
シスターたちの姿を眺めているうちに、
ふとこの言葉が胸の奥で確かに灯っていることに気づきました。
医療の本質は、病気が治るかどうかだけではなく、
“そばにいることそのものが、どれほど人を支えるのか”
というところにもある。
そのことを、この場所であらためて教わった時間でした。
■ おわりに
コルカタで見た“寄り添う医療”の姿は、
私たちの地域医療にも、大きな示唆を与えてくれます。
病気のこと、治療のこと、生活のこと、介護のこと──
どんな不安も、どうか一人で抱え込まないでください。
戸塚クリニック
村松 賢一
この世界に、まだ最期まで尊厳を保てる場所があることを知った旅でした。
その灯を、私たちも静かに守り続けたいと思います。
